セキュリティの報道やベンダーの報告書には、「T1566」「T1078」といった番号が当たり前のように出てきます。MITRE ATT&CKという、実際の攻撃で観測された手口の体系の番号です。この章ではATT&CKの構造を読み、自分のアプリに関係の深い技術を抜き出します。あわせて、AIシステム向けの姉妹版であるMITRE ATLASを読み、応用編で学んだAI特有の論点がどこに位置づくかを確かめます。攻撃の手順を学ぶ章ではありません。防御側の「共通語」を学ぶ章です。
この章の学習目標
- MITRE ATT&CKの「戦術」と「技術」の違いを説明し、Enterprise版の戦術の並びと技術IDの読み方を人に説明できるようになる
- 自分のアプリに関係の深い技術(T1190、T1078、T1552など)を抜き出し、どの段階で止められるかを多層防御の考え方で言えるようになる
- MITRE ATLASの構造を読み、プロンプトインジェクションや幻覚パッケージといった応用編の論点を、ATLASの技術IDで指せるようになる
ATT&CKとは:観測された手口の体系
MITRE ATT&CK(Adversarial Tactics, Techniques, and Common Knowledge)は、米国の非営利組織MITREが維持している、攻撃者の行動の知識ベースです。特徴は「実際の攻撃で観測されたもの」だけを載せていることです。理論上あり得る攻撃ではなく、実際に誰かがやった手口が、2つの軸で整理されています。
- 戦術(Tactic)
- 攻撃者が「なぜ」その行動をするのか。目的の段階。「最初に入り込む」「権限を上げる」「データを持ち出す」など。IDはTAで始まります(例:TA0001 Initial Access)。
- 技術(Technique)
- その目的を「どうやって」達成するか。IDはTで始まります(例:T1566 Phishing)。技術の下に、さらに細かいサブ技術(例:T1566.001 Spearphishing Attachment)があります。
経理の不正リスク評価に置き換えると、戦術は「資産の流用」「財務報告の改ざん」といった不正の目的の分類、技術は「架空仕入」「売上の前倒し計上」といった具体的な手口です。監査基準が手口を類型化しているのと同じように、ATT&CKは攻撃の手口を類型化しています。
2026年4月28日公開のATT&CK v19では、Enterprise版(企業システム向け)に15の戦術、222の技術、475のサブ技術があります。v19の大きな変更点として、それまでの「Defense Evasion(防御回避)」の戦術が「Stealth(隠密、TA0005)」と「Defense Impairment(防御の無力化、TA0112)」の2つに分割されました。少し前の資料に「14戦術」と書かれているのはこのためです。本稿執筆時点の最新版は2026年8月のv19.2です。
| 順 | ID | 戦術(原題) | 攻撃者の目的(筆者による要約) |
|---|---|---|---|
| 1 | TA0043 | Reconnaissance | 標的について調べる |
| 2 | TA0042 | Resource Development | 攻撃に使う道具や足場を用意する |
| 3 | TA0001 | Initial Access | 最初に入り込む |
| 4 | TA0002 | Execution | 悪意あるコードを動かす |
| 5 | TA0003 | Persistence | 居座り続ける |
| 6 | TA0004 | Privilege Escalation | より高い権限を得る |
| 7 | TA0005 | Stealth | 正常な動きに見せかけて隠れる |
| 8 | TA0112 | Defense Impairment | 防御や監視を弱める |
| 9 | TA0006 | Credential Access | IDやパスワード、鍵を盗む |
| 10 | TA0007 | Discovery | 侵入先の中を調べる |
| 11 | TA0008 | Lateral Movement | 別のシステムへ移る |
| 12 | TA0009 | Collection | 目当てのデータを集める |
| 13 | TA0011 | Command and Control | 外部から操る |
| 14 | TA0010 | Exfiltration | データを持ち出す |
| 15 | TA0040 | Impact | 破壊・改ざん・停止で損害を与える |
自分のアプリに関係の深い技術
222の技術をすべて読む必要はありません。個人が公開しているWebアプリに関係が深いものを、attack.mitre.orgで実在を確かめたうえで5つ挙げます。
| ID | 技術(原題) | 戦術 | 自分のアプリで起きたら | 止める場所(この教材) |
|---|---|---|---|---|
| T1190 | Exploit Public-Facing Application | Initial Access | 公開しているアプリの穴(インジェクション、設定の不備)から入られる | 第11章、第12章、ASVS L1(第20章) |
| T1078 | Valid Accounts | Initial Access、Persistence、Privilege Escalation、Stealth | 正規のアカウントを使われる。漏れたパスワードや使い回しが入口 | 第10章、第12章の二要素認証、ASVS 6.2.4 |
| T1566 | Phishing(サブ技術 .001〜.004) | Initial Access | あなた自身がだまされ、Vercel・Supabase・GitHubの認証情報を渡してしまう | 第12章の二要素認証。パスワードマネージャー |
| T1552 | Unsecured Credentials(.001 Credentials In Files、.004 Private Keys など) | Credential Access | コードやGitの履歴、設定ファイルに残った鍵を拾われる | 第9章 |
| T1195 | Supply Chain Compromise(.001 Compromise Software Dependencies and Development Tools) | Initial Access | 依存パッケージや開発ツールに仕込まれたものを取り込む | 第12章のDependabot、第24章のSBOM |
T1078が4つの戦術にまたがっていることに注目してください。正規のアカウントは「入る」にも「居座る」にも「権限を上げる」にも「隠れる」にも使えます。だからこそ、第10章で見た認証と権限の点検、第12章の二要素認証が、多くの段階を同時に塞ぎます。論文で「認証の不備」が176件(14.84%)あったことの重さは、ATT&CKで見るとより具体的に分かります。
非エンジニアの使い方:防御側の共通語
ATT&CKは攻撃を学ぶためのものではなく、防御側が「何について話しているか」を揃えるための共通語です。使い方は3つあります。
- 報道と報告書を読む。情報漏えいの公表資料やセキュリティ会社の報告書は、「初期侵入はT1190、その後T1078で永続化」のように書かれます。番号を読めれば、「公開アプリの穴から入り、正規アカウントで居座った」と理解できます。
- 自分の守りの抜けを見る。戦術の表を上から下へたどり、「この段階で自分は何を置いているか」を書き出します。何も置いていない段階が、空白として見えます。
- 専門家に聞く。「T1552への対策は第9章の棚卸しで足りますか」と番号で聞けば、専門家は番号で答えられます。
攻撃の連鎖と、どこで止めるか
戦術が左から右へ並んでいるのは、攻撃がたいてい連鎖だからです。調べて、入って、権限を上げて、集めて、持ち出す。この「鎖」の考え方をKill Chain(キルチェーン)と呼び、どこか1か所で鎖を断てば、その先の損害は起きません。1か所に頼らず、複数の段階に守りを置く考え方が多層防御(defense in depth)です。
個人開発で現実的なのは、左側の2段(初期侵入と認証情報)に力を注ぐことです。ここで止まれば、右側は起きません。ただし右端の「操作の記録」は、止めるためではなく「何が起きたかをあとで説明する」ための守りです。第3章で見た個人情報保護委員会への報告(速報はおおむね3〜5日以内)は、記録が無ければ書けません。
MITRE ATLAS:AIシステム向けの体系
ATT&CKは企業システム全般の体系ですが、AIシステムに特有の手口は載っていません。そこでMITREは、AIシステムに特化した姉妹版MITRE ATLAS(Adversarial Threat Landscape for Artificial-Intelligence Systems)を公開しています。IDはAMLで始まり、戦術はAML.TA、技術はAML.Tです。
公式のデータリポジトリ(github.com/mitre-atlas/atlas-data)によれば、2026年9月版(v2026.09)には1つのマトリクス、16の戦術、120の技術、88のサブ技術、40の緩和策、73の事例研究が収められています。戦術の多くはATT&CKと同じ名前ですが、AI固有の2つが加わっています。「AI Model Access(AIモデルへのアクセス、AML.TA0000)」と「AI Attack Staging(AI攻撃の準備、AML.TA0001)」です。
応用編の第16章(slopsquatting)と第17章(プロンプトインジェクションとLLM Top 10)で扱ったAI特有の論点は、ATLASでは次のIDに位置づきます。すべて公式データで実在を確認したものです。
| ID | 技術(原題) | この教材での論点 | OWASP LLM Top 10 2025との対応 |
|---|---|---|---|
| AML.T0051 | LLM Prompt Injection(.000 Direct、.001 Indirect、.002 Triggered) | プロンプトインジェクション。利用者からの直接と、AIが読む文書やWebページ経由の間接 | LLM01 Prompt Injection |
| AML.T0054 | LLM Jailbreak | 安全機構を迂回させる | LLM01の一種として扱われる |
| AML.T0056 | Extract LLM System Prompt | システムプロンプトの漏えい | LLM07 System Prompt Leakage |
| AML.T0057 | LLM Data Leakage | AIが他の利用者や接続先のデータを漏らす | LLM02 Sensitive Information Disclosure |
| AML.T0060 | Publish Hallucinated Entities | 第16章のslopsquatting。AIが幻覚したパッケージ名を攻撃者が実際に登録する | LLM03 Supply Chain |
| AML.T0010 | AI Supply Chain Compromise(.005 AI Agent Tool) | AIの部品(データ、モデル、ソフトウェア、エージェントの道具)の汚染 | LLM03 Supply Chain |
| AML.T0053 | AI Agent Tool Invocation | AIエージェントに接続された道具を、攻撃者が使わせる。第26章の中心 | LLM06 Excessive Agency |
| AML.T0110 | AI Agent Tool Poisoning | エージェントの道具(MCP接続を含む)の説明や挙動を汚染する。第26章 | LLM06 / LLM03 |
ATLASの原文は、AML.T0110の説明で「Model Context Protocol(MCP)接続を通じてエージェントが使える道具」を明示的に挙げています。2026年9月版では、エージェントに関わる技術(AML.T0080 AI Agent Context Poisoning、AML.T0086 Exfiltration via AI Agent Tool Invocation など)が多数追加されています。AIエージェントの時代の脅威が、すでに「観測された手口」として体系に入り始めているということです。この話は第26章で続けます。
演習:最近の情報漏えいニュースをATT&CKに当てはめる
- 最近1年以内の情報漏えいの公表資料を1つ選びます。被害を受けた組織が自ら公表した「お知らせ」や調査報告書が望ましいです。JPCERT/CCの注意喚起やIPAの資料から探してもかまいません。
- 公表資料から、「何が起きたか」を時系列で3〜6行に書き出します。推測は書かず、資料に書かれていることだけを使います。
- 各行を、上の15戦術の表のどれかに当てはめます。分からない行は「不明」とします。公表資料は詳細を伏せていることが多いので、「不明」が多くて構いません。
- 当てはめた戦術について、attack.mitre.orgの戦術ページを開き、その戦術に属する技術の一覧を眺めます。資料の記述に合う技術IDがあれば書き添えます。
- 「自分のアプリで同じ連鎖が起きるとしたら、どの段階で止まるか」を、図23-1の下段を見ながら書きます。止まらない段階があれば、点検ノートの「要対応」に追加します。
- 公表資料に「再発防止策」があれば、それがどの戦術への対策かを書きます。これが、専門家の報告書を読むときの型になります。
まとめ
- MITRE ATT&CKは実際に観測された攻撃者の手口の体系。戦術(なぜ、TA番号)と技術(どうやって、T番号)の2軸。Enterprise v19(2026年4月28日)は15戦術・222技術・475サブ技術で、Defense EvasionがStealth(TA0005)とDefense Impairment(TA0112)に分割された。
- 個人の公開アプリに関係が深いのはT1190(公開アプリの穴)、T1078(正規アカウントの悪用)、T1566(フィッシング)、T1552(放置された認証情報)、T1195(サプライチェーン)。攻撃は連鎖するので、初期侵入と認証情報の2段に力を注ぎ、操作の記録で説明責任に備える(多層防御)。
- MITRE ATLASはAIシステム向けの姉妹版。v2026.09は16戦術・120技術。プロンプトインジェクションはAML.T0051、幻覚パッケージはAML.T0060、エージェントの道具の悪用はAML.T0053、MCPを含む道具の汚染はAML.T0110。応用編の論点はすべてATLASのIDで指せる。
出典
- MITRE ATT&CK「Enterprise Tactics」(MITRE, ATT&CK v19.2)
- MITRE ATT&CK「Updates - April 2026」(v19リリースノート)(MITRE, 2026年4月28日)
- MITRE ATT&CK「T1190 Exploit Public-Facing Application」、「T1078 Valid Accounts」、「T1566 Phishing」、「T1552 Unsecured Credentials」、「T1195 Supply Chain Compromise」(MITRE)
- MITRE ATLAS(MITRE)
- MITRE ATLAS 公式データリポジトリ「atlas-data」(v2026.09)(MITRE, 2026年9月。戦術・技術のIDと件数はここから転記)
- OWASP Top 10 for LLM Applications 2025(OWASP GenAI Security Project, 2025)
- JPCERTコーディネーションセンター(JPCERT/CC)